2020-02-12 第201回国会 衆議院 予算委員会 第11号
自民党の党是というのは、押しつけ憲法に引っ張られていますよ。 ですから、私は、論理的に破綻しているんじゃないですかと。それを官房長官に問うているわけです。
自民党の党是というのは、押しつけ憲法に引っ張られていますよ。 ですから、私は、論理的に破綻しているんじゃないですかと。それを官房長官に問うているわけです。
例えば、押しつけ憲法については、自民党は既に憲法審査会の中で、これはとらないということを表明しているのを御存じですか。はっきりそうおっしゃっているわけですよ。 ですから、総理の憲法、憲法というのはちょっと一回取り下げて、もうちょっといろいろな議論とか勉強してからおっしゃった方がいいですよ。私はそう思います。いかがですか。
衆議院憲法審査会における昨年十一月の議論を拝聴しますと、制定以来七十年、日本国憲法は国民にも社会にも定着し、大きな役割を果たしてきたのであり、制定過程におけるGHQの関与による押しつけ憲法論からは卒業すべきであること、日本国憲法の三大原理、すなわち、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は堅持すべきことなどについて、各会派が共通の認識を持っているという確信を持ちました。
さらに言えば、少なくとも、現代においていわゆる押しつけ憲法論を振りかざしたり、憲法典の全面改正、すなわち、新憲法制定を唱えたりする方々は、保守と対極にあります。 日本国憲法の制定経緯についてどのような見方に立とうとも、日米戦争に敗れ、ポツダム宣言を大日本帝国の国家主権に基づいて受諾したことは間違いありません。
押しつけ憲法論にはくみしないと山下委員はおっしゃいましたけれども、経緯について言及されるのは結構だと思います。しかし、現代的な意味なり、この七十年間培ってきたその結果についてどういう解釈をするのかということをおっしゃらないと、まさに時の経緯だけの押しつけ憲法論に終始をして議論しているというふうに言われても仕方がないのではないかというのが私の率直な思いであります。
このことを捉えまして、一部に、占領下でつくられた押しつけ憲法であり、自主憲法の制定が必要との意見があります。 私たちは、GHQの関与のもとで新憲法が制定されたことは事実であるとしても、こうした考え方には賛同できません。
そろそろ、これはきょうも出ておりますが、押しつけ憲法論議という、敗戦コンプレックスから思考停止している不毛な憲法論議からの脱却が必要だと思います。ニュートラルな憲法論議に各党が足並みをそろえるということが非常に重要だと思っております。 二〇〇〇年から憲法調査会が立ち上がって十七年、世界各地の憲法改正の調査にも行きました。 憲法改正には三つの原則があったと思います。 一つ目は、主権在民。
私は下地会長からもう憲法はいいからと言われたんですが、金曜日の質疑、それからきょうの質疑を見ていると、例えば辻元委員、自民党の改憲草案について、国民不在の押しつけ憲法草案と。こんな言葉を見過ごすわけに、私は関係ないですけれども、見過ごすわけにはいかないと思います。
押しつけ憲法論というのがありましたけれども、これは国民不在の押しつけ憲法改正草案じゃないかと申し上げて、次の質問に移ります。 きょうは、安全保障の議論、浜田委員長ともさんざんここでいろいろされていましたけれども、いよいよ南スーダンにPKOが行きます。稲田大臣にその前に基本姿勢を一点、二点お聞きしておきたいと思います、防衛大臣におつきになりましたから。 一つは、核保有の問題なんです。
憲法のそもそものあり方に関して、押しつけ憲法か否かというところがあります。安倍総理はこれに関して、一番上です、「対論集 日本を語る」という中で、左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが短期間で書き上げ、それを日本に押しつけたものである、こういうふうに言われています。 さらに、平成十二年五月十一日、これは衆議院の憲法調査会の議論の中で同じようなことをおっしゃっている。
余りにも低い投票率では、国民の総意とかけ離れており、後世において、押しつけ憲法ならぬ最低投票率憲法として、またしても改正への口実にされかねません。憲法がたびたび改正されることは望ましいことではありません。 また、低い投票率は、投票をボイコットした人の意思、つまり、改正に反対である人の意思表示と考えることもできます。
現政権には押しつけ憲法への嫌悪を感じますが、現政権が今しようとしていることは、まさに違憲な法案の国民への押しつけではないでしょうか。 ある法哲学者が、プーボワールオブリージュという言葉を使っていました。
しかし、我が党内の議論においては、戦後七十年がたとうとする現在、こうした押しつけ憲法論というような制定経緯に関する議論を行っていても生産性がないのではないかという意見があります。 維新の党は、効率的で自律分散型の、時代に合った統治機構というのを確立する統治機構改革を憲法改正によって実現することを党の基本政策として掲げております。
小林参考人は、押しつけ憲法論について、この歴史的な事実はあらがえないけれども、そのことだけを言うのでは生産的ではない、やはり現在は定着をしている、そういう現状から憲法を議論することが適切であると。このことについては共感を持った次第でございます。
それから、後でちょっとお試し改憲と押しつけ憲法論についてまとめてお話ししたいので、ちょっと飛ばして、最後のところにいきます。 既に憲政の現実の中におられる先生方はお気づきと思いますけれども、憲法というのは、六法全書の中で唯一最高権力を縛る位置にあるものですから、最高権力の上に置かれるものだから、ありがたくも最高法という名前で神棚に載っちゃうんですね。
この点、小林先生にお伺いしたいんですが、小林先生はむしろ物すごくストレートに物をおっしゃっておられて、「「憲法」改正と改悪」という本の中で、やはり押しつけ憲法だということを認めておられて、でも、ただ無効と言うのは時代錯誤だろうということをおっしゃっておられた、これはそのとおりだと思っております。
二つ目は、いわゆる押しつけ憲法論でございます。 安倍総理は、昭和二十一年にGHQの憲法も国際法も全く素人の人たちがたった八日間でつくり上げた代物だと発言をされています。
押しつけ憲法だから憲法改正しなくちゃならない、それはそういった面があるわけです。変えたっていいんだろうと思います、独自のものだと。 その一方で、日米共同作業で国際的ルールをつくるんだと。それならば憲法も一緒に協議してつくったらどうですかという嫌みを言いたくなるわけです、おわかりいただけると思いますが。 WTOだって、関税をゼロにしろなんて一言も言っていないんです。
つまり、おっしゃりたかったのは、いろいろなことがあって、一々反論しませんが、アメリカ帝国主義に反発した日本共産党がその押しつけ憲法を擁護するのはおかしいと言うけれども、全然関係ない話ですよ、そんなのは。そんなことは誰も言っていないわけです。 日本国憲法というのは、むしろその中身としては、戦争を踏まえて、先駆的な中身がある。我々も、あのときにいろいろ議論しました。
押しつけ憲法ならぬ押しつけTPPです。 そこにのこのこ入っていくのが気が知れないというのが、かつての大統領候補、鄭東泳さんの私に対する忠告なんです。せっかく我々が一番手ランナーとなってアメリカにしてやられたと困っているんだから、こんなところにはのこのこ入っていくべきじゃないと。 どういうことを彼が言うかというと、「前払い」の一番上を見てください。
例えば、「翼」を見ますと、いろいろな方に寄稿をいただくのはいいんですけれども、結局、憲法を捨てよ、停止させろというような論文が延々と載っていたり、きょうお手元にお配りいたしました漫画、「押しつけ憲法呪縛の巻」、国会議員の方にも同じようなお考えを持っていらっしゃる方のお話もよく聞きますよ。しかし、「中身のないワクだけのユーレイ憲法に固執!」
もう一つ申し上げたい点がありますけれども、押しつけ憲法論。総理が、改正の一番の理由に、押しつけ憲法だったということを挙げているわけです。 ところが、憲法調査会、五年にわたって衆議院が議論した中でこの議論も取り上げられたわけですけれども、衆議院議長に院として提出した報告書ではこうなっております。
そしてさらに、押しつけ憲法だからこれはよくないという議論では、制定過程ということを問題にしていると。ですから、象徴天皇制はいいが九条は嫌だというのは、実は個別の話であって、制定過程そのものを問題にした憲法改正ということはおかしいんじゃないかというような、個別の問題についてはあるが、過程そのものを問題にして改正案をつくっていくということはおかしいのではないかという疑問も呈されました。
そこで、総理の所信表明演説で総理が示した改憲理由、私なりに見ますと三つあったと思いますが、一つは、押しつけ憲法論ですね。それからもう一つは、古い憲法論というか、時代に即した憲法に変えなきゃならぬということ。それから三つ目に、新しい時代にふさわしい新しい憲法、二項めと重複しますが、そういうふうなことだったと思います。